浄土真宗本願寺派  雲林山 円覚寺  沿革

 

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鞍手町八尋川端より円覚寺を望む

 

 [一]名称

浄土真宗本願寺派 円覚寺

 (十二代法輪の『当山世代過去帳』には、「筑前鞍手郡八尋村 浄土真宗西 雲林山圓覺寺」と記してある。)

また浄土真宗本願寺派の寺院として福岡教区鞍手組(くらてそ)という組織に所属している。

 

[二]所在地

福岡県鞍手郡鞍手町大字八尋868番地

※地図はコチラ

鞍手町新北熱田神社にある『圓覺寺文書』・『西川村誌』・『鞍手郡誌』等の

記録に、円覚寺はもと新北長家にあったが、植木代官所による獄門の首を、

門徒である由をもって持ち帰り無断で葬ったことにより追放されるが、八

尋の長者日高右馬之守及び左馬之守の招きにより現在地に移る。(円覚寺獄門事件)

円覚寺獄門事件について

 

[三]歴代住職

開基

順正

天文二十二年、新北長江に一寺を建立。足利氏の家臣より僧になったという。

獄門事件により追放、その後現在地に移る。

二代

順明

慶長五年十一月得度。元和三年三月六日寂。

三代

明順

元和四年九月得度。寛永十七年五月二十八日寂。

四代

順慶

寛永七年十一月得度。寛永十八年住職。元禄十三年四月十日寂。

五代

了空

万治二年得度。元禄七年五月三日寂、四十九歳。

六代

龍雲

元禄七年十二月、御徳村正行寺より入寺。元禄八年二月住職。寛延三年九月二十七日寂、八十二歳。

七代

照雲

亨保九年八月、長州豊良郡大坪村了円寺より入寺。亨保九年十一月住職。寛保二年九月十三日寂、五十一歳。

八代

照月

延保二年住職。安永三年十二月七日寂、四十五歳。

九代

潜龍

安永四年住職。文化十五年五月二十五日寂、六十三歳。

十代

流情

文化十三年住職。弘化二年二月六日寂、五十三歳。

十一代

大勇

弘化三年住職。文久二年十一月二十二日、本堂庫裡改修中に急逝、三十三歳。建物は棟上げ途中で工事中断。

十二代

法輪

文久三年四月三日、嘉麻郡中益村明善寺より入寺。中断していた改修工事を継承。円覚寺寺子屋を開き子女を教育し、明治六年学制発布により八尋小学と称した。室木小学校の開学の祖となる。晩年永谷に私塾「共進舎」を開き青年たちに新思想を教育した。

十三代

大碣

明治十八年八月十三日住職。昭和十三年五月二十七日寂、八十四歳。

十四代

大悟

大正元年八月二十九日住職。昭和五十一年四月六日寂、八十八歳。

十五代

信行

昭和八年一月八日、築上郡千束正円寺より入寺。昭和二十一年三月五日住職。昭和五十二年退任。

十六代

賢珠

昭和五十二年六月十四日住職。平成十年の蓮如上人五百回遠忌法要の記念事業として本堂会館庫裡の改築事業を行い平成九年完成。平成一九年五月退任。

十七代

淳信

平成十八年十一月十四日本願寺より住職任命。平成十九年五月三日の住職継職奉告法要をもって住職継職。

 

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