領解文

 

                もろもろの雑行雑修自力のこころを、振り捨てて、

                    一心に阿弥陀如来、我らが今度の一大事の後生、

                    御助けそうらえと頼み申してそうろう。

                

                     頼む一念のとき、往生一定御たすけ治定とぞんじ、

                    このうえの称名は、御恩報謝とぞんじよろこびもうしそうろう。

               

                     この御ことわり聴聞もうしわけそうろうこと、

                    御開山聖人御出世の御恩、次第相承の善知識の

                    あさからざる御勧化の御恩と、ありがたくぞうじそうろう。

               

                     このうえは、さだめおかせらるる御おきて、

                    一期をかぎりまもりもうすべくそうろう。

 

 領解文は、第八代宗主蓮如上人が作られたものとされ、山科本願寺落成の頃から読まれるようになったといわれています。ちなみに大谷派では『改悔文』とも称されます。内容は簡潔で、一般の人にも理解されるように平易に記されたものでありますが、当時の異安心や秘事法門に対して、浄土真宗の正義をあらわしたものです。

第一 安心の段  自力のこころを離れて阿弥陀如来の本願他力にすべてを託する、いわゆる捨自帰他の安心が示されている。

第二 報謝の段  信の一念に往生が定まるから、それ以後の念仏は報恩にほかならないという、いわゆる称名報恩の義が示されている。

            したがって、この第一・第二の両段において、信心正因・称名報恩の宗義が領解されたことになる。

第三 師徳の段  上記の教えを教示し伝持された親鸞聖人や善知識の恩徳を謝すべきことが述べられている。

第四 法度の段  真宗念仏者の生活の心がまえが示され、『御文章』などに定められた「おきて」にしたがって生活すべきことが述べられて             いる。

 

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